ABOUT CURITIBA
2011/04/29
クリティーバ市は、ブラジル南部に位置する都市で、パラナ州の州都。現在の人口はおよそ170万人であり、
ブラジル南部では最大の都市。発音はクリティーバのように,ポルトガル語では「ティ」にアクセントを付けます。
なお日本ではクリチバと表記する場合も多く、加えて「バ」にアクセントをつける発音も多いですが、
その場合ブラジル人に正しく聞き取ってもらえないことがあるようです。
標高およそ940mという州内でも有数の高地に位置し、近郊にブラジル有数の港湾都市であるパラナグアがあります。
17世紀にパラナ地方において植民都市として築かれたことを起源とすします。
HISTORY of CURITIBA
2011/04/28
クリティーバの歴史は、1630年頃に金鉱を求めて周辺で始められた入植にその起源が求められます。
徐々に村落を形成し、1693年3月29日に村として認められ、パラナマツの広大な林を有していたことから、
ノッサ・セニョーラ・ダ・ルース・ドス・ピニャイス(Nossa Senhora da Luz dos Pinhais、松林を守護したもう我らが光の聖母)という
名で登録されました。おそらくこの名前が言いにくかったこともあり、次第にクリティーバという名前で呼ばれるようになり、
1721年に町の名称を正式に「クリティーバ(Curitiba)」に変更する。クリティーバという名の由来については有力説が2説あり、
ひとつは、先住民が使っていたトゥピ語で「松(coré)が多い(etuba)」という意味のCoré Etubaから転じたというもの。
もうひとつは、やはりトゥピ語で、「大きな(yba)松(kurit)」という意味のKurit Ybaから転じたというものです。
1842年には町に格上げとなり、1853年、サンパウロ地方が分割されたことに伴い新設されたパラナ地方の首府となりました。
1867年から移民団の受け入れが始まり、イタリア人、ポーランド人、ドイツ人、ウクライナ人を中心に、ヨーロッパ、
特に中東欧から多数の移民が流入することとなります。
1960年代頃までは、あくまで地方都市の枠を出ない存在であっりましたが、以後、政策的な成功も寄与して、商工業が発展し、
ブラジルでも有数の富裕な都市となります。その躍進をもたらした都市計画について、その先進事例として世界中に広く
その名を知られるようになりました。
CITY PLANNING of CURITIBA
2011/04/27
クリティーバは、都市計画の優れた成功例とみなされています。専用レーン、2連結ないし3連結のバス、バリアフリー化も図られた
チューブ型のバス停などを用い、大量かつ高速の輸送を実現した極めて効率的な公共交通システムを有していて、
日常の足として全市民の85%に利用されています。また、緑地政策においても著しい成功を収めており、クリティーバ市において、
市民1人当たりの緑地面積は51.5平方メートル。これはユネスコが都市に求める基準値のおよそ3倍にあたる面積であり、
世界の都市ではオスロについで2番目の広さです。区画整理も綿密かつ柔軟に設定されており、自然環境への悪影響を
避けるため工業施設については建設区域が制限されています。
1950年代から1960年代にかけクリティーバの人口は倍増し、人口が43万人程度にまで達します。
これに懸念を持った市の幹部らは抜本的な対策を講ずる必要性を感じます。1964年に当時の市長イヴォ・アルズアは
新たな都市計画の策定を求め、マスタープランの素案を求めるコンペを開催、結果、当時、パラナ連邦大学の学生で
後に市長となるジャイメ・レルネルらの社会プロジェクト研究会が最優秀賞を獲ます。この際、彼らが提出した案は、
都市の乱開発を予防するための厳しい区画管理、市中心部の繁華街における交通量の抑制、旧市街の歴史的建造物の保全、
便利で手頃な公共輸送システムの構築、といったことを骨子とするもので、これは後にクリティーバ・マスター・プランとして
広く知られることとなります。レルネルらが提出したこの案を受け入れた市は、調査目的の外郭団体としてクリティーバ
都市計画研究所を設立し調査期間を与え、1971年にレルネルが市長に就任して以後、これらの計画は実行に移されることとなります。
市長となったレルネルの基本方針はヒューマンスケールの町作りであり、モットーは「人間のための都市計画」でした。
簡潔に言えば、自動車中心の都市政策ではなく、住民である人間を中心とした都市政策です。
これは計画段階においても実施段階においても、ブラジリアの例(当時の市幹部はこれを「失敗例」とみなしていました)
を多分に踏まえています。
1980年代になると、統合輸送ネットワークが創出され、均一料金で一度払うだけで市内のどこにでもバスで自由に行けるようになりました。
これは、都市郊外に住むことのデメリットを打ち消すため、郊外に主に住む低所得者層への福祉的な効果もあるものです。
同時期に、「知識の灯台」と呼ばれるプロジェクトも開始しています。これは施設内に図書館、現在ではインターネット設備、
その他の文化的なリソースを提供するための自由に利用できる一種の教育施設で、主に小学校の隣に設置されました。
この施設は、ブラジルでしばしば問題となる子供たちが放課後を過ごす場所を与えているという点で意義が大きいとされるほか、
夜間、文字通り暗い夜道を照らす灯台としての働きをすることで治安向上に一役買っています。
これら数々の都市政策への評価は高く、1996年6月にはイスタンブルで開催された市長や都市計画家らによるサミット
第2回国際連合人間居住会議において、「世界一革新的な都市」として表彰を受けています。
現在までは成功といえる都市計画ではあるが、今後の課題もあります。犯罪指数は今のところ低いですが、
スラムやホームレスといった問題は他の大都市同様に抱えており、すでに市内の開発が面積的に限界に達しつつあること、
郊外の大規模ショッピングセンター建設に伴う都市の郊外化、など、クリティーバ市も頭を悩ませている問題は少なくありません。
RELATIONS with JAPAN
2011/04/26
ブラジルではサンパウロに次いで日系人が多い都市であり、その数はおよそ3万人に及ぶ。前述の都市計画にも、
中村ひとし(日系1世、元クリティーバ市環境局長)、カシオ・タニグチ(日系2世、イプキ所長とクリティーバ市長を歴任)、
ルイス・ハヤカワ(日系2世、元イプキ所長)といった日系人たちが深く関わっています。
カシオ・タニグチはブラジルの州都においては日系人として初の市長です。
クリティーバ市は3つのサッカークラブチームを抱え、その内のひとつに、サッカー選手の三浦知良がブラジル修行時代に
一時所属したコリチーバFCがあります。また、同じくアトレチコ・パラナエンセを、京セラ(京セラミタ)が2005年から支援しており、
同時に同チームの本拠地であるジョアキン・アメーリコ・グイマランイス・スタジアムの命名権を京セラミタ・アメリカが取得し、
同スタジアムは現在「京セラアリーナ」という名称となっています。
1984年5月14日に姫路市との間で友好都市関係を結びました。